
知の喪失 "Devote yourself to Science."
わだつみ平和文庫が甲州市(旧塩山市)に危篤中の中村克郎氏に代わり長女の中村はるね医師により開館された。10万冊以上におよぶ書籍から約3万冊が展示されている。
克郎氏は下記徳郎氏の弟である。
中村徳郎
昭和19年6月20日午前8時
父上母上様。弟へ。
門司市大里御幸町辰美旅館徳郎
何もかも突然で、しかも一切がほんの些細な運命の皮肉からこういうことになりました。しかし別に驚いておりません。克郎(弟)に一時間なりとも会うことが出来たのはせめてもでした。実際は既にその前日にいなくなっているはずでした。そうしたら誰にも会えなかったのです。
中略
最も伴侶にしたかった本を手元に持っていなかったのは残念ですが致し方ありません。それでも幾冊かを携えてきました。
中略
今の自分は心中必ずしも落ち着きを得ません。一切が納得が行かず肯定が出来ないからです。いやしくも一個の、しかもある人格をもった「人間」が、その意思も意志も行為も一切が無視されて、尊重されることなく、ある一個のわけもかわらない他人のちょっとした脳細胞の気まぐれな働きの函数となって左右されることほど無意味なことがあるでしょうか。自分はどんな所へ行っても将棋の駒のようにはなりたくないと思います。
ともかく早く教室へ還って本来の使命に邁進したい念切なるものがあります。こうやっていると、じりじりと刻みに奪われてゆく青春を限りなく惜しい気がしてなりません。自分がこれからしようとしていた仕事は、日本人の中にはもちろんやろうという者が一人もいないと言ってよいくらいの仕事なのです。しかも条件に恵まれている点において世界中にもうざらにないくらいじゃないかと思っています。自分はもちろん日本の国威を輝かすのが目的でやるのではありませんけれども、しかしその結果として、戦いに勝って島を占領したり、都市を占領したりするよりもどれほど眞に国威を輝かすことになるか計りしれないものがあることを信じています。
自分をこう進ましめたのは、いうまでもなく辻村先生の存在が与って力ありますが、モリス氏の存在を除くことが出来ません。氏は自分に、真に人間たるものが、人類たるものが何を為すべきかということを教えてくれました。また学問たるものの何者たるかを教えてくれたような気がします。私はある夜、西蔵(チベット)の壁画を掛けた一室で、西蔵の銀の匙で紅茶をかきまわしながら、氏が私に語った"DevoteyourselftoScience."という言葉を忘れることが出来ません。


彼らが望んだ未来
飛行機の燃料を片道分しかつまずに、敵陣に突っ込む神風特攻隊。
よく外国の人から
「日本人はなぜそんなことができるのか?」と理解されなかったと言います。
ですが、この本を読み終えたあと、こんな言葉が浮かんできました。
「彼らは特別に異常だったわけではない。」
大切な家族を守るために、早く戦争を終わらせ、日本の未来を明るくするために。
そんな思いで彼らは「必死」の覚悟で戦争に向かっていました。
彼らの葛藤が綴られた日記がこの本には詰まっています。
彼らが望んだ未来を、今生きているすべての人に読んでほしい一冊です。

「虚構の中に死んでいった」(冒頭の詩)青年らの声
私は、製作者の意図する、意図しないは別として、
戦争を扱った著作や映画には、(作品として構成・製作される以上どんなものでも、)
多かれ少なかれ、「美化」や「戦争観の押し付け」を感じてしまいます。
顔のぐちゃぐちゃに潰れた米兵の写真や、腹部の破裂した日本兵の写真、
原爆被害者の悲惨な写真など多く見たことのある私は、
賢しらな政治論や、理屈をこねくりまわした正当化が、実に愚なことで、
戦争自体、偏屈なナショナリズムや国家権力者の欲望以外の何ものでもないことを
知っているつもりです。
この数多の手記は第三者に作品化されていない、いわば、生の声です。
大人達がこれを読むこと、そして子供達に読ませることです。
二十代の私には辛うじて戦争の悲惨さを語ってくれた祖母がいました。
これからの子供達は不幸にも自分の血縁に戦争を語ってくれる人がいなくなります。
どうか、商業作品でない、
本物の戦争をたんたんと語ってくれるこのような書や、写真、資料が
忘れ去られることなく伝えられていってほしいと願わずにはいられません。

まずはGoogleを使ってみよう!
この本だけでなく、保坂正康「『きけわだつみのこえ』の戦後史」をあわせて読むことを強くお勧めします(せめて、googleで「きけわだつみのこえ」を検索してみよう)。
日本語の問題として、遺稿の中身を書き換えることは「遺稿の取捨選択」とは言わないし、「改竄の噂」は正しくは「改竄の事実」でしょう。因みに、上記の保坂本を読めば、美談の裏にある腐臭の源は、「改竄」などという生易しいものだけではないことが知れます。
私は若くして散っていった人たちの思いには敬意を払いたいと思います。言うまでも無いことですが、時代背景を考えれば戦地に向かっていった人たちの圧倒的大多数は、(良かれ悪しかれ)国のために死ぬことを是としていました。「大日本帝国万歳」と唱えて死地に向かった人にも各人各様の思いがあり、そういう人たちも含めて敬意を払いたいということです。
死に行く人の思いに感動するのは自然な心の動き、ということは否定しませんが、この本は特定の団体により特定のイデオロギーのために操作されたものだということは理解しておくべきだと思います。

感動の一言につきる
なぜ彼らが若い命を捨てなければならなかったのか、ナショナリズム、保守化の風潮中で貴重な本である。改竄の噂を意図的に流す人々がいるのは残念である。たとえ改竄があったとしても彼らが、志半ばで死んでいった事実は消せない。残された遺族の嘆きを思うと心が痛む。彼らのほかに遺書も残せず死んだ人、いいなずけを残して死んだ人など多くの悲劇が有ったことを忘れてはならない。巻末の経歴は個人情報保護法に引っかかるのでは?