
岩波文庫版に正当な評価を
本書は戦争を研究する上で必須の古典だが、難解との定評がある。それもそのはず、この書は未完成で、クラウゼヴィッツの死後に編集・出版されており、全体的にこなれていない。しかも、日本人になじみの薄いフリードリヒ大王戦史や自身が参加したナポレオン戦争を題材に論が展開されているのである。
現在、日本語で読める完訳本は、私の知る限り中央公論文庫の清水訳とこの岩波文庫の篠田訳であろう(短縮版としては芙蓉書房版、徳間書店版あり)。
篠田訳・清水訳についてよく聞くのが、篠田訳はプロイセン参謀本部が「改竄」した第二版以降をテキストにしており、初版を復刻したものをテキストとした清水訳(もしくは芙蓉書房版)の方が、クラウゼヴィッツ本来の思想を伝えている、といったものだ。全部を読み比べたわけではないが、最も重要な改竄とされる第8篇第6章Bの内閣と最高司令官の関係については、どの訳も意味を大きく変えるものではないし、前後の文脈からも十分彼の言わんとするところが分かり、言われるほど気にする必要はないと思う。むしろ篠田訳は訳注が他の訳本より充実しており、また索引があり、メリットはある。
難解な本書であるが、まず第1篇第1章と第8篇を読むことをお勧めする。第1篇第1章はクラウゼヴィッツ本人が唯一完成した原稿と述べている章で、戦争論の基本的な方向性が分かる。第8篇は全体の総括であり、彼の実戦体験を反映したもので、表現が実にストレートである。その中の「フランス打倒計画」は必読であろう。パリおよびその背後に向け、ベルギー方面とドイツ方面から各30万の兵力で攻撃する計画において、彼は「二方面で攻撃的前進を行っている両軍の中間に横たわる全地域は、その儘にしておいてよい」と言い切る。普通、中間地域の防衛や両軍の連絡のことを心配するものだが……。このような大胆なセリフ、吐いてみたいものだ。

戦争論は難しいか?
戦争論は、非常に難解で難しいと言われる代物である。他のブックレビューを見て批判するのはよくないと思うが、18世紀における戦争実体と現代における戦争実体に当てはめて考えると実際に役立たない部分もある。また、戦争論は哲学的要素や歴史の引用などが含まれており、文庫本では読みづらいという部分も納得できる。特に、ナポレオン戦史、フリードリッヒ戦史を理解していなければ分からない点も多々ある。
しかし、戦争と政治との関わりやその目的と手段、理論と実践に関しては色あせることはない。むしろ、現代の戦略思想家といわれる人たちがクラウゼヴィッツ以上に戦争に関する論究をしているであろうか?また、戦争を考える上でクラウゼヴィッツ以上の物差しを提供した人物がいるであろうか?
孫子とクラウゼヴィッツを対比することは難しいが、私見では孫子とクラウゼヴィッツの言っている戦争に関する部分は、オーバーラップしている部分さえある。程度の差こそあれ、日本語による訳文ゆえ難解といわれる「戦争論」を理解するには1度や2度読んだだけでは無理なのである。また、篠田訳、清水訳など「戦争論」に関する訳本が多いので、訳者によって解釈の違いが出るし、日本人に馴染みの薄い哲学的要素が多分に駆使されているから読みづらいのは当たり前である。そのあたりは、解説本やガイドブックから攻めて事の本質に迫るしかないであろう。戦争論は何度も読み、理論と実践に関する部分から理解しないと先に進まない。また、戦史を研究する必要性もあり取り組むには一筋縄でいかないのが現状であろう。

戦争の本質を語る点では「孫子」に劣るとは思うが・・・
上中下の全三巻。戦争に勝つための将帥が持つべき理想や思想から始まり、細かい戦術や戦略とその効果性を説き、最後に国家全体で戦争に勝つための戦争計画について述べている。
一見その記述は細かく、実践的な印象を受ける。しかし、戦場が比較的本国から近かった近代ヨーロッパの戦争からの出典が多いためか、戦争に勝つ上で最も重要な要素である「補給と兵站」と「補給線の確保」についての章がないどころか記述自体がほとんどない。本文中で「経済的に戦力を浪費しないような兵力活用をしろ」と説いてはいるが、その中間が省略されている感があるのだ。その点において、戦争における補給の大切さを強く説き、「相手の輸送隊を襲って一日分の糧食を奪えば、それは自軍にとって十日分の価値があり、敵にも十日分の飢えと不安をもたらして有利に戦うことができる」とシンプルに書いてみせた「孫子」に比べて大局的な視点は薄い。局地的な戦術記述の部分が緻密なせいで大局的な戦略部分までも過大に評価されている感は否めない。逆に言えば、だからこそ「戦争は政治の一手段に過ぎない」ものであって軍単独で維持しがたく、緊急非常の迅速に収めねばならない難しさを持った「使わないにこしたことはない手段」だと述べているのかもしれない。
本書は近代の西洋諸国のみならず、旧日本軍、とりわけ陸軍士官学校での必須教科書のひとつであった。しかし、彼らは本当にこの本を「最後まで」読み、理解していたのかどうか疑わしい。特に下巻のP255以降の第八篇、特P312以降を本当に理解していたのかどうか怪しいものがある。持久力に乏しい日本軍への値千金の訓戒の言葉の数々が宝庫のように詰まっているのだ。戦争を長引かせないために陥ってはならない状況と諫言が数々の例を挙げて示されており、あたかもオシム日本サッカー代表監督の注意深い現実的な発言を思わせる。
足りない部分も確かに多いが、それゆえ冷静にかつ批判的に本書を読めば、逆に勝つために本当に大切な要素がおのずと見えてくるはずだ。この真価を理解していた旧日本軍の将帥はいったいどれだけいたのだろう。「論語読みの論語知らず」「悪貨良貨を駆逐す」といった言葉が思わず頭をよぎった。

考えさせられる偉大な本
仕事の上のことだけでなく、生活面の立ち居振る舞いの元にある自分の気持ちの持ち様についてもハッと考えさせられる。表題に(Perfect)とあるが、実はクラウゼヴィッツが挙げている諸例を省いた(Digest)版。それにしても、今の日本にクラウゼヴィッツのような人が欲しい。

自分の眼で評価しよう
いちおう眼を通したが、さすがにこんにち改めて本書を繙く価値は感じない。まず、具体的な戦術・戦略の面では、塹壕戦すら経験していない時代に書かれた本書では、ほとんど実用性がないことは仕方あるまい。また、前半の戦争哲学の面も、一般論としては頷ける部分もあるが、ここも現代の発達した戦争術(というべきか)に鑑みて、もう通用しない部分も多いと思われる。何せ女性の職業軍人も存在する時代なのだから・・そして、哲学的・社会科学的・政治学的な戦争論なら、こんにちもっと現代的な視点からのものが大量に出版されている。わざわざ本書を選ぶ必然性はない。逆に、本書の評価が高いということは、いかに「古典」の評価が批判されずにそのまま通用しているか、ということの証明ではないか。きちんと自分の眼で評価したいものだ。むしろ、意外にも「孫子」の方が現代性もあるし、一読する価値があると考えている。本書の購読を考えていた方は是非検討されたし(値段も安いし、薄いし)。