
ノストラダムス本と変わらない
ノストラダムス本と変わらないですね、これも。何事も中途半端が一番いけないといういい例
ですね。底の浅さや急に都合のいいことがでてくることについては、パンフレットだからと逃
げることができるでしょうが。
こんなインチキが分からないのか、わかっているが都合がいいから尻馬に乗っているだけなの
かは知りませんが、中途半端で幼稚な人が結構いるってことなんですね。
支持する意見が多いようですが、マルクス、エンゲルスの考えというのは、中途半端な人が
浅い知恵と嫉妬でもって作ったお話で、そのお話はうそと屁理屈と身勝手さで出来ています。
科学でも何でもない。それっぽく見えてるのかもしれませんが、デタラメです。「失敗はし
たが、指摘は生きている」ってしがみついているようですが、デタラメです。この手の人が
ヒューマニズムと思い込んでいるものは単なる身勝手さです。
重要なのは「この考え」は、根っこを切るという考えということです。中途半端な人にはこの
つながりを切るということが理解できないでしょうが、根っこを切って花や実がなるわけがな
い。うまくいかないのは当たり前です。「この考えの実現に失敗した」というのではなく、
当然の結果なんですね。そもそも身勝手さとインチキにもとづいているので、ものの見方も
結果もおかしいのは当たり前。
うそにうそを重ねてみんな悪くしてしまう方法で物事にあたるのではなく、皇室に受け継がれ
ている道徳といった科学的、現実的なことでもって物事にあたりましょう。ただ、これも中途
半端な人には理解できないでしょうが。
せめて博物館に飾っとくぐらいのもんでしょ、こんな本

スケールとしての共産主義
何をさておき、この本は、余剰価値、搾取といった、サラリーマン、非正規労働者その他労働を提供して賃金を受け取る者が、何かおかしくないか、と思ったときに説明してくれる視点、スケールを提供すると言う意味で衝撃的な本だと思う。人は困ったとき、あれこれ悩むが、悩みを適切に整理する概念を持つと、単なる悩みではなくなる。最低限、自己武装が可能になる。いかなる考えの者でもよほど地頭が良い者は別として、衝撃を受けると思う。彼らが提供した諸概念は未だ有効であり、それを敢えて知らにふりをして生きている者は、傲岸不遜な資本家であろうし、知らずに何かおかしいな、と感じたら、凡百の本よりこの本が助けになってくれると思う。本である以上、現実を解決してくれるのではない。読了後のことや行動は、私たちに委ねられている。自分がどのような立ち位置にいるのか、常に思わされる本である。

共産主義は生きている
本書は、マルクス、エンゲルスが共産主義者同盟のために著した綱領である。今までの人類の歴史は階級闘争の歴史であったこと、プロレタリア革命を通じて共産主義社会を実現する必要があること、が述べられている。
ソビエト連邦は崩壊し、東欧革命が起こり、中華人民共和国ではさまざまな問題が起きている今、共産主義は死んでしまったように見える。しかし、マルクス達の理論では、共産主義社会の実現には、資本主義社会の発展が前提になっていることに注意する必要がある。だから、現在の日本やアメリカでこそ、本当の共産主義革命が起こるかもしれないわけである。
資本主義の基本的な部分は全く変わっていないのだから、現代を読み解くためにもマルクスやエンゲルスの著書を読むことには価値があるといえる。

ベストセラーの価値
「共産」「Communism」という言葉に対する、世界的なアレルギーというものはすごい。
冷戦崩壊後、一気に資本主義化が進み、壮大な社会実験は完膚なきまでに終わったかに見える。
そしてマルクスは、時代遅れの産物として、社会的に葬られてしまっている。
しかし、今いろいろなことを言っている教授陣、それこそマルクスの影響を受けていない人間はいない。
その思想を読み解くために、マルクスの考えに戻ることは、決して時代遅れの作業ではない。
むしろ、形を変え品を変え、マルクスの思想は根っこで生きている部分が多い。
でなければ、なぜ今のこの時期に「蟹工船」が売れるのだろうか?
たとえば、資本主義による階層間の不平等の広がり(今の日本なら格差といった方が通じやすい)、流通によるグローバリゼーションなど、現状にも続く世界の流れを見ている。
彼の言っていることは的外れではなく、どちらかといえば人間に期待を寄せすぎたのが、彼の過ちだったのだと思う。
「資本論」はぶ厚いが、この本はとても短くてすぐ読める。
一度は世界を風靡したベストセラーに触れておくのも悪くはない。

読み時なのでは?
昨今、『オーラ』だとか、『精神世界』だとかが、巷で流行っているようだ。自分の知り合いでも凝っている人がいる。そうしたものは、少し前なら『教養人』を自称する人間なら、馬鹿くさい物とされたものだ。そんな、馬鹿くさいとされた(個人的には今でも阿呆臭いと思うが・・)ものを信じる人ですら『共産主義』は、馬鹿くさいという。
「だって、共産国家ってほとんど崩壊したじゃん。あれって、おかしくない?」
・・・もっとも、自称『教養人』も『共産主義』を終わった思想と考える人が多いだろうが・・・
しかし、本当にそうなのか?終わった思想であるならば、なぜ失敗したのか?考察が必要ではないのか?ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つという、我々は、その渦中にいるときは自分が置かれた状況を冷静に判断できないのではないか?そうした意味では、今こそ読み頃ではないと思う。『共産主義』なんて馬鹿げた思想に洗脳された昔の人はバカだったのではないか?と思うのは簡単だが、いわゆる思考停止状態ではないか?思うに我々を取り巻く『グローバルスタンダード』なる概念も後世の人々から馬鹿げた思想といわれない保証は全くないのだ。途上国の人間に半ば奴隷のような労働で安い製品を作らせ、先進国の人間が格安の商品を手にできる・・・しかしながら、先進国の労働者は、その為に職を失う・・・『グローバルスタンダード』によって先進国に住む我々は、利益を得ているが、大変な損害も受けている。『ワーキングプア』、『ネットカフェ難民』が話題になる昨今の状況をどう考えるば良いのか。人間はそんな簡単に洗脳されるものではあるまい。過去に『共産主義』が人々の心に響いたのなら、その時代には説得力があったはずなのだ。
もっとも、思想そのものに共鳴するかは、その人次第だろう。問題なのは、自分が気に入らない『思想」ということで黙殺しることではないだろうか・・・バカな思想だと思うなら、なおさら、とりあえず読むべし・・・個人的には、この本の趣旨を全面肯定する訳にはいかないものの、エンゲルスのが指摘する社会ステムの問題は未だ解決されていないと感じた。というより、本質的には何も変わっていない。むしろ、世界がこの時代に比べてよりグローバルに、緊密につながった分に問題がややこしくなった事に加えて、希望であったはずの『共産主義』(人権思想も根っこは共産主義にと同じ、理性によって人間は開放できるって事)の失敗を知ってしまった為に我々は何を未来に託せば良いのか分からなくなってきている気がする。『福祉』だとか『弱者救済』を連呼する政治家や活動家をどこか胡散臭く見ているのは私だけではあるまい。
今でも『ハンドラの箱』の中に『希望』は残っているのだろうか・・・・
