
ユートピアのありか
本書の読後感は以下二点である。
一点目。本書の前半部分に説明されている世界の多文化に関しては大変解りやすく勉強になった。家にある哲学辞書やネットで出てくる内容を調べながら読み進めたものだ。特に宗教に関しては不勉強であったので今回本書を読みながらキリスト教の「多文化」を若干にせよ知ることが出来て大変幸せであった。
その意味で本書はみんなに推薦できる一冊かと思う。
二点目。本書の後半部分に説明されている「ソフトパワー」に関しては勉強になると共に著者が志向する「方向性」には違和感を持った。
ハードパワーに対しソフトパワーの存在と力を紹介している部分は引き続き大変参考になった。
但し著者がソフトパワー論者の代表者とするナイに関し「アメリカの世界戦略を考える国際政治学者」という表現で要はソフトパワーを「特定国の世界戦略に使うパワー」とすべきではないという方向性を出している点には疑問が残った。
有史以来現在に至るまで人間の歴史はパワーゲームの歴史であったと思う。それは国家から始まり家庭に至るまで人間が住む至る所で起こっている現実だ。
ナイの主張はその現実を踏まえて国益を増すためのソフトパワーという路線を出しているわけだが著者はそれを否定している。
読んでいる限り「パワーゲームと訣別した人間」という一種のユートピアを志向する中で著者なりのソフトパワー=文化の力を語っている。
問題はその著者の前提がいささか楽観的に過ぎないかという点だ。僕は今までの歴史とそれ以上に「今この瞬間の自分自身」を考えてみると正直楽観論には与しない。それゆえ後半部分が「甘美すぎる」ような気もするのだ。
勿論将来人間がパワーゲームを卒業するという可能性は否定しない。但しそれが明日なのかと言われると否定する。
それは現在の地球のサステイナビリティーまで視野に入れた人間の「思想・哲学」のコペルニクス的転向が必要な話だと思うのだ。

文化対立を乗り越える難しさ
筆者は先日まで文化外交の懇談会の座長を務めていたが、この本の主張は、ジョセフ・ナイの「ソフト・パワー」の概念を用いつつ、世界の文化が切磋琢磨して鍛え合うことによって、多様な文化が共存していく前向きな道を探ろうというもの。近隣諸国との政治的対立が激化する中で、文化レベルでの共存の重要性はますます高まっており、そうしたテーマに1つの方向性を示すものである。筆者は十数年前に、民族対立の激化や日本の自文化中心主義の高まりを目の当たりにして、自文化の一時的な忘却が必要だとする「文化の否定性」という本を書いているが、本書ではむしろ文化の積極的な発信を訴えている。同じ筆者が全く違ったやり方で文化の対立を乗り越えようと提案しているところに、文化相対主義の立場に立脚しながら文化対立を乗り越える難しさがあるのかもしれないが、今日のアメリカの普遍主義の行き過ぎを目の当たりにすると、筆者のように多様な文化を生かしつつ共存を図る道を模索することは必要不可欠のように感じる。

入門書としては合格だが・・・
極めて平易に書かれた、この分野への入門書といえる。著者はアイザイア・バーリンの『理想の追求』に注目する。著者は、バーリンの説く文化相対主義あるいは文化多元主義に大きな影響を受けたという。人間と社会にはいろいろな選択肢があって、それを調整することに意味はあっても、一つの解決だけをある個人が他人に押し付けることは非常に大きな弊害を招く。よって「理想の追求」が複数でありうることをもっと認識せよ。著者はそう我々に主張するのだ。次に、ジョセフ・ナイのソフトパワー論について語られる。ソフトパワーについて一通り紹介した後で、これはアメリカの世界政治における戦略論の一つであるからそれをそのまま受け止めるべきでないと主張する。ソフトパワー論を文化の魅力の問題として置き換えるところに本書の魅力がある。本書の結論は、世界の相互依存と緊密化が進む現代のような時代においては、一国の覇権的な拡張は世界秩序を形成するどころか、大いにそれを乱す結果を生み出さずにはいられない。そうではなく、異文化間で起きる接触や交流、そして混成化によって、それぞれの文化の力を高め、その魅力を発揮し合う中で、人々が充実した生活ができるようにせよ、というものである。この凡庸な結論は、それまでの議論が大変興味深いものであっただけに一層不満に感じた。この結論がどのようにして達せられるか、そこまで踏み込んで論を展開していないため、肩透かしを食らった気分になった。残念である。だが、それでも、本書は入門書としては十分合格であると言える。その興味深さ、平易さは私に本書を推挙させることを躊躇わせない。

文化とは?
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ううん・・・という本
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