
むかしなつかし文化人
戦後、1970年代くらいまで、日本には「文化人」と呼ばれる人たちがいた。彼らは豊富な学識と流麗な文体を武器に、東西冷戦から公害問題まで、幅広い話題について華々しい論戦を繰り広げたものである。だが、今ではそうした人たちはどこかへ消えてしまった。現実政治の諸問題の解決に必要なのは、教養の豊かさや文章の巧みさではなく、もっと地味で着実な社会工学的専門性だということが徐々に認識されるようになったからである。論壇貴族たちの華やかな論戦は、結局のところ、装飾された床屋談義以上のものではなかったのである。
丸山眞男が繰り返し引用されることからも推察されるように、著者にはどうもこうした万能文化人への憧憬があるようだ。それが本書の記述の所々に「危うさ」を感じさせる要因ともなっている。たとえば著者が、「冷戦下において共産主義の脅威に対抗するためにアメリカの核の保護を受けたことは…合理的な選択であったといえる。しかし、それ以上に、他国の体制の変更を求めて武力を行使することを厭わない特殊な国家(評者注:アメリカのこと)との深い絆を求めるべきか否かについては、より慎重な考慮が必要であろう」とか、「深刻な環境問題に対処するために必要な地球規模の協力関係を構築していく上で、そうした特殊な国家と深い絆を結ぶことの有効性をいかに評価すべきかも重要な考慮要素となる」と、良く言えば慎重な、悪いく言えば回りくどい言いまわしで語る時、著者は自分が述べていることをどこまで理解しているのだろうか。著者が誇る欧米政治哲学の豊かな識見は、日米関係や環境問題についての何の専門性も保証しない。ここでの著者の発言は、素人の床屋談義以上のものではない。憲法学者が憲法学者として語り得る範囲は、著者が考えるほどには広くないように思われる。
勿論、本書には憲法学者ならではの見識も多く含まれている。たとえば巷で主張される改憲論の多くが法学的に無意味であることを示す冒頭のくだりは、憲法学者ならではのものである。だが、専門外の事柄と専門内の事柄を一冊の本で語るのは、非常に危険なことだ。同様の路線をとり続けた場合、いつか専門外のことで筆を滑らせ、著者の憲法理論の信用性まで損なわれる結果とならないか。特に昨今、専門家の専門外での不用意な発言は、ネット言論での格好の批判対象となる傾向がある。人ごとながら心配である。


「立憲主義的憲法」の分かりやすい入門書
大学で憲法を学ぶ者は、授業の初め頃に憲法の法源、形式的意味の憲法、実質的意味の憲法と順を追って学ぶと思う。その後に立憲主義的憲法について学ぶ。その時大抵の授業では18世紀頃の欧米の近代市民革命の歴史的変遷やフランス人権宣言16条の意味等を教わる。ただそれでも立憲主義的憲法の内容が分かりにくいと感じる者は多いと思う。そういう人にこの本をお勧めする。この本を読めば、立憲主義とはなにか、立憲主義的憲法とはなにか、がかなり考えやすくなると思う。これと合わせて、高橋和之先生の『立憲主義と日本国憲法』を読めば立憲主義的憲法である日本国憲法の現状と将来を自分なりに再考するのに非常に役に立つ(授業で単位をとるのにも役に立つ)と思う。特に大学1・2年生で憲法の授業をとる者にお勧めする。

わかりやすいです
長谷部先生の本です。
とても読みやすく内容もしっかりしていると思います。
立憲主義の成立から冷戦の終結、民主主義の台頭と順を追って述べてあります。
章ごとに著者の書きたい内容や目的などが明確にまとめられており、読んでいて
流れるように頭に入ってくるような気がします。
ですが、読みやすくても書かれている内容は深く内容も濃いので繰り返し読むのが
一番よいと思われます。
憲法の本の中でも比較的よい本だと思います

このタイトルはどうかなあ。
本書は,明示はされていないが,その中身からみて,筆者が,各種法律雑誌に寄稿した
ものを一般人向けに書き直したものだと思う。
したがって,「憲法とは何か」というタイトルから感じられるほど,統一感のある書物
にはなっておらず,いわば論文集であって,雑然とした感じの書物になっている。無論,
いずれの章も,「憲法とは何か」を考えさせるものであることは間違いないが。
私としては,この本をこれから読もうとする読者に対し,もし未読であれば,まず『憲法
と平和を問い直す』から先に読むことを勧めたい。筆者の憲法理論の根幹は,『憲法と平和
を問い直す』の方が丁寧に触れてあるからである。
いわば,『憲法と平和を問い直す』は「基礎編」,『憲法とは何か』は「応用編」という
関係にある。「基礎編」から読んだ方が,「応用編」への理解も深めることができるよう
に思う。

自立した憲法学の構築
「立憲主義」とは、根底的に価値観を異にする人びとを承認し、個人の自由な生き方と社会全体の利益に向けた理性的な審議と決定のプロセスを実現することを目指す立場であること、立憲主義のもとでは、私的領域ではそれぞれが信奉する価値観・世界観に沿って生きる自由が保障され、公的領域では社会のすべてのメンバーに共通する利益を発見し、それを実現する方途を討議・決定する(公私区分)。これまで長谷部氏が展開してきた議論のエッセンスが本書でも繰り返されている。「立憲主義」を単純かつ明快に定義することで、その論争点を明確化したことが、この議論の功績だとおもう。しかし、疑問がないわけではない。長谷部氏は9条を「絶対平和主義」的に解釈することを否定し「規範的」に解釈する。そのこと自体に異論はない。しかしその根拠として提示されているのは、それが「非現実的」というものだ。しかしそれが「現実的か非現実的か」ということも、結局のところ特定の価値観に基づいているのではないか。長谷部氏の公私の区別論も、結局のところはなんらかの価値判断にもとづいてなされている。それをつきつめていけば無限後退に陥らざるをえないのではないか。
それはともあれ、長谷部氏の目途は、憲法学を憲法学たらしめる自立した体系にすることにあるのだろう。それは戦後憲法学が「手を広げすぎた」事に対する批判だろう。しかし、「手を広げた」ことによって、戦後憲法学はダイナミズムと魅力を獲得してきたともいえるのである。憲法学のアリーナを縮小することが、ひいてはその魅力とダイナミズムを喪失する陳腐化をもたらすかもしれない。
これは選択の問題だが、僕はこの「新しい憲法学」にあまり魅力を感じない。