
看板に偽りありか?
西洋化を志した明治政府は、いわゆる「お雇い外国人」を招き入れ、ヨーロッパを視察し、
そして1889年、迎えるべくして欽定憲法の公布、施行に至った。
しかし、その傍らで、己が国家、己が権利、己が憲法の樹立を目指して、地方レヴェルから
「自由民権運動」が立ち上げられていた。
……と、タイトルから想像される物語が展開されるのははじめの60ページと最終章のみ。
他の部分は、といえば富国政策や内国植民地など、明治政府の陰の部分を炙り出す記述が
続く。おそらく筆者が書きたかったのはそうした暗部であり、その一例として憲法をめぐる
やりとりの描写がなされている、というのが位置づけの認識としては正しいのだろう。
各々は極めてよくまとまってはいるし、読むだけ時間の無駄になるような、そのような
粗末な本では決してない。憲法前夜の日本史としては良書の部類には違いない。
ただし、表題との齟齬にどこか肩透かしを食った、との感は否めない。
明治史に興味をお持ちの方は読まれてみたらよろしいのではなかろうか。
ただし、明治憲法をめぐる政府と民権運動の相克の物語を読まれたい方は他を当たられると
よろしいのではなかろうか。

帝国憲法体制の成立までの政治・経済・社会の変化
本書は帝国憲法体制の形成過程に主眼を置き、
またこれが五つのテーマのうちの一つです。
第二のテーマは政府と民権派とは異なる要素として民衆を描くというものです。
第一章「自由民権運動と民衆」において政府の重税や徴兵制に反対し、
経済的保護の撤廃を叫ぶ民権派にも支持できない民衆が描かれています。
第三のテーマは近代化による人々の生活や意識の変化です。
第三章「自由主義経済と民衆の生活」と第五章「学校教育と家族」において
自由経済の進行により勤勉と自律が人々の意識の内に植え付けられ、
それを学歴主義が支えることになったとしています。
また女性は「良妻賢母」(特に「賢母」)になることを要求され、
女性が「家」と「家庭」の両挟みになったとしています。
第四のテーマは欧米に文明化を要請された日本が周辺地域に
どのように文明化を強制したかについてです。
このテーマは第四章「内国植民地と「脱亜」への道」で展開され、
北海道と沖縄が日本に強制的に編入され、地元住民は「本土」以下の
扱いを受けたと告発しています。
また吉岡弘毅(121‐123頁)と植木枝盛(123頁)の主張を挙げて、
中国や朝鮮の植民地化を正当化した福沢諭吉や民権派の文明論・対外論は
「時代の制約」を理由に免罪できないと強く批判しています。
第五のテーマは「文明的」と「日本化」が相互補完的であるということです。
これは第六章「近代天皇制の確立」において君主の権限の強い憲法でしたが、
政府の「輔弼」と議会の「協賛」がなければ政治運営が不可能であったことを
指摘しています(190‐191頁)。
第二章「「憲法と議会」をめぐる攻防」で松方デフレが豪農層と民権派とを
切り離す極めて政治的な経済政策であった(64頁)と鋭く突きながらも、
全体から見れば印象が弱くなっているのが惜しかったです。
とはいえ、帝国憲法体制が成立するまでの政治・経済・社会の変化を概観できる良い本です。

「国民国家」の建設過程を、運動や社会にも注目しつつ描き出す
日本の近現代史研究はこれまで、明治政府がいかに日本という「近代国民国家」を作り上げて行ったかという過程に焦点を置いてきた観がある。一方、そのような「政府⇒社会」の作用のみならず、「社会⇒政府」の作用に注目する論者は、民権運動に過度に重きをおくあまりに「政府VS運動」の二極の構図に囚われ、必ずしも運動によって代表されてはいなかった民衆を描くことに失敗していた。本書は、「政府・運動」の二極対立ではなく、「政府・運動・民衆」の三極対立こそがもっとも実態に近い視角である、という問題意識のもとに描かれる、岩波新書の日本近現代史シリーズ第二巻である。
他の方のレヴューでも指摘されているように、「民権と憲法」というタイトルからは若干外れるのではないかと思われる部分もなきにしもあらずである。しかし、大日本帝国という近代国民国家の建設過程を描き出すことが本書の主眼目であることを念頭に入れて読むならば、決して失望させられるような内容ではない。単なる政治史に陥らず、民衆の生活や、民権運動までもが一様に抱えていた植民地主義の萌芽、近代的な教育制度の社会におけるインパクト、近代家族の成立など様々な視点が盛り込まれ、非常に興味深いものがある。
特に興味深かったのは、近代的な「国民」の創出の過程では、「愛国心」や「天皇」を掲げつつ政府を批判し民衆の支持を獲得していった民権運動が果たした大きな役割があったとする指摘である。この点、「国民」は権力によって上から創出されたとする従来のナショナリズム論にはない、新しい視点である。
日清日露戦争やその後の戦争の挙国一致体制成立の根源は何だったのか、本書で描かれる「国民」創出過程を足がかりに考えてみたい。

「実に面白い」が・・・。
興味深く読んだ。その意味で買って損はない。
A)肯定的な側面。明治前期の史実に関するリソースとして価値は高い。というより、大量の、気付きにくい、ただし重要な情報満載である。学界での研究業績への周到な目配りには感心した。読者はこの本のどこかしらに、己の興味関心を惹く話題を眼にすることができる。私にしても、幾つもの再発見をさせてもらった。
B)否定的側面。Historyなのにstoryがない。私は、「面白い、面白い。」で読了したあと、「さて、俺は何を読んだのだろう。」と、暫し首を傾げてしまった。これは、史書として少々、致命的。
ただし、この点について、著者はその苦衷を正直に「あとがき」に記している。
「「民権と憲法」というタイトルでこの時代を描くのは気が重かった。」p.207「だが、私自身はそれらを活用してまとまりのある歴史像を描けるまでには至らなかった。」同上
一つ言えることは、著者も漏らしているように、タイトルと内容の齟齬である。タイトルから受けた私の予断は、簡便で最新の「明治憲法成立史」なのかな、であった。それでちょっとワクワクもしていた。その点、結果的に些か失望した。これは、著者の責任というより、出版社側、ないし編集者側の問題だろう。「民衆と憲法」というタイトル、ないし主題で依頼するなら、近代日本を領分とする法史学系か、政治史学系、ないし思想史系の研究者に任せるべきだった。
逆に、この著者を出版社として選んだなら、タイトル、ないし主題は、「民権から憲法へ」、とか、「臣民の誕生」、「民草から臣民へ」といったものが適切だったろうと思う。そうしたら、著者も生き生きと己が納得する一書をものすることができたかも知れないと推察する。その無理が、せっかくの食材をおいしい料理へと化学変化させられなかった最大の問題と考える。

岩波新書日本近現代史シリーズ第二弾
第一弾に続いて、明治政府の国民国家化を中心に描く。
国民国家と競争社会が確立した現代の原点ともいえる時代を、政府・民権派・民衆の三極対立という視点からとらえているが、徴兵制、学校教育、フェミニズム、北海道、沖縄、東アジア外交などの現代につながる「日本」という国民国家の成立を憲法や天皇制の成立を中心に見ていく。
ややタイトルと内容に乖離があるという印象がある。
国民国家化の政策には批判的な態度の見え隠れする、やや左よりのオーソドックスな通史といえる。