
国連に半生を捧げた人でなければ語り得ないことを語ってほしかった
1957年から40年間、まさに自らの半生を国連に捧げた著者でなければ知り得ない国連の生々しい真実が語られていることを期待して読み始めましたが、特に著者でなくとも資料を集めれば記述できるような歴史的事実が教科書的に並べられていると言う感が拭えず、残念ながら私の当初の期待は裏切られました。これも国連と言うあくまでも中立な立場で活動する組織で長らく働いた著者の中庸感覚がもたらした結果ととらえれば仕方のないことかもしれません。
それでも、最後の2つの章では、事務総長と常任理事国間の相克、国際公務員の理念、日本の国連に対する姿勢などに関する著者の生の考えが垣間見られます。特に最後の章「国連と日本」の冒頭で語られる重光外相の1956年の国連総会における日本の国連への加盟演説は、その場にいた本人でなければ語り得ない感動を呼びました。もう一点、第8章「事務総長と国際公務員」の最後で国連における日本人幹部職員の少なさに関連して述べられる『国内の高等教育が「最高水準の能率、能力及び誠実」に達し、かつ国際的に通用する語学水準をかねそなえているいる人材の大量な育成に、成功しているといえない』は、日本国民および指導者が耳を傾けなければならない言葉でしょう。
遠くない将来に著者が、国連に半生を捧げた人でなければ語り得ないことを語ってくれることを期待しつつ、星3つの評価とさせていただきます。

日本で最も適切な方の一人によって著された国連の解説書
この本は、国連とはどのようなものであり、また、どのようなものであるべきなのかを、著者が国連官僚としての40年にわたる経験を基に新書で著されたものです。
一般読者にとっても分かりやすく書かれていますが、その内容は、重責を全うされた多くの経験に基づいた判断と懐の深い思想に裏打ちされているように思えます。
国連は、国家主権が絶対である現実においては国際世論を正確には反映してはいないし、立法機能を持つ議会でもなく、実に多くの課題を抱えています。しかし、歴史を振り返れば、著者の言うように「螺旋形に進んでいる世界」において、世界の平和と人々の幸福に対するその利用価値を、確実に高めてきていることがよく理解できます。
核兵器やテロリストによる平和への脅威がグローバル化し、自国だけの安全をめざすことはもはや不可能となっている現代において、また、国連の発足と時同じく制定された平和憲法を持つ日本国の主権者(国民)にとって必読の一冊だと思います。
安保理常任理事国入りに関連して、巻末で著者は次のように述べています。「---そう考えていくと、安保理常任理事国入りが実現する前に、国際的な障害を除去するだけではなく、克服すべき国内の、心理的・政治的・制度的障害も数多いことに気がつくのである。これらの障害を一つ一つ克服していくことは、おそらくわが国社会のあり方の根本的な改革につながってくる」と。

国連と共に歩んだ日本人元高級幹部の回想記
国連程、日本人に誤解されている組織は無いと思います。理想と激しい国際社会の国益のぶつかり合いの現実の中でしか生きられない組織と思っていました。この本では、国連の歴史や近年の変化が語られますが、神髄は、数々の紛争を解決しようとする努力が、担当者であった筆者から淡々と述べられていることです。ユーゴスラビアには国際社会の多くの同情が集まったのに、同時に起こったアフリカの小国ルワンダの大虐殺には沈黙した国際社会。これが現実です。しかし、著者は、敗戦後、平和主義に徹して国連に加入した日本のけなげな加盟演説を引用して、国連と日本の将来をけして悲観していません。国際問題を考える良い入門書としてお勧めです。