
知者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
アメリカの伝説的外交官、ジョージ・ケナンの手による本書は三部構成。
第一部は、1950年にシカゴ大学で行われた、全六回の連続講演。
「1900年にわれわれは、アメリカの地位の安全を誇張しすぎ、かつアメリカの実力と
問題を解決する能力に対して過大な自信をもっていたのに対して、今日では逆にアメリカの
当面する危険を誇大視し、かつ実際以上にアメリカ自身の能力を低く評価する傾向を
もっている」。この状況はいかなる要因に従って引き起こされたのか。米西戦争から第二次
世界大戦に至る50年間のアメリカ外交政策を再考することで、この問いへの答えを導く。
第二部は、ForeignAffairsに発表された、対ソヴェト政策をめぐる論文2点。
わけても、「ソヴェトの行動の源泉」は「封じ込め政策」の必要を説いた重要論文。
第三部は、第一部における連続講演を後に自ら振り返ったもの。軍事一元論的な視野狭窄を
批判し、外交におけるソフトパワーの重要性を論じる箇所は圧巻。
「もし、われわれが自らの過誤から教訓を学ばないとしたならば、一体何からわれわれはそれを
学びとることができようか」。
結果論と歴史分析の区別さえもつかぬままに学びを否定し、場当たり的な対応を繰り返し、
その挙句、「いつか来た道」を辿り続ける官民問わず愚劣凡庸な自称エスタブリッシュメントとは
およそ対照的な、あまりに誠実かつ情熱的な語り口は今なお非常に鮮烈な響きを持つ。
原文そのものがフォーマルな文体であろうことは想像に難くないが、翻訳は確かに生硬で、
もう少しシンプルな言い回しで語れぬものかとは思う。
しかし、研究者や専門家に限らず、アメリカ外交について知りたい、語りたいと願う人間ならば、
一度は目を通しておかねばならないだろう一冊。

アメリカ側から検証した太平洋政策の失敗
個人的に、本書の興味深い点は、門戸開放以降のアメリカの太平洋政策を、アメリカの観点から、しかもその失敗について、勢力範囲というコンセプトの元、解説している点である。東アジア情勢(日本から見れば大陸政策)について、日本人による日本人の観点から、軍部の独走と大東亜戦争の失敗について解説している書物は多く見かけるが、アメリカの側からアメリカの失敗について述べている書物は(少なくても日本では)珍しいと思う。
門戸開放という道徳的なスローガンの下、本来東アジアの平和は日本、ロシア、中国の勢力を均衡されることにより成り立つのにも関らず、道徳の名の下に、日本を過剰に敵視し、中国を過剰に遇し、後のことを考えずに、日本を屈服させたことにより、自ら東アジアで中国、ロシアに対抗する勢力とならざるを得なくなった、アメリカの浅はかさを批判している。
また、有名なX論文「ソヴィエト行動の源泉」も収録されている。本論文は、当時アメリカで主張されていた、アメリカの攻撃的な行動によってソ連を非妥協的な行動に押しやったのではないか、という論議に対し、そういった自虐的な認識を否定し、ソ連の行動は、アメリカの行動の結果によるものではなく、アメリカの民主主義とは根本的に異なる、ソ連の根本的な性質に依存するものである為、ソ連の善意に対する幻想を捨て、長期的に対抗していくべき、と主張している。この考えに基いて、冷戦の中心となる封じ込め(適切な訳ではない、という批判が多い)政策が遂行されるに至った。一方、指導者がその競争者から地位を勝ち取る為に、将来大衆まで降りてくることが考えられるが、それは党の規律を破壊し、ソ連国家自体を破壊する結果となる、とゴルバチョフ以降のソ連を性格に予測している。
ケナンの著書は、後付け的な理屈を超え、歴史的洞察に裏打ちされた予言の書である、とさえ感じる。昔の本だからこそ、その後の歴史の展望を知っている我々が、その洞察がいかに適切であったか分かり、時代に関係のない普遍的な歴史的洞察を感じることが出来る。
よく言われるように、翻訳はやはり読みにくいように感じる。第3部の「ウォルグリーン講演の回想」が、前半部分のまとめ(要約)のようになっており、ここを読んでから第1部を読んだ方がイメージがわきやすいかもしれない。

アメリカ外交の在り方
本書がアメリカ外交論を学ぶ上で必読の書である最たる理由は、初版から50年以上経った現在でも古さを感じさせない点であろう。ケナンはアメリカ外交の性格について次のように特徴付けている。
「われわれとして、(他国に対して)忠告しようが、哀訴しようが、邪魔をしようが、当惑させようが、それは全く勝手だというのである。もし他の国がわれわれのいうことを聞かなければ、われわれは世界の世論の面前で、かれらのぶざまな様子をあばくだけである。他方、われわれの主張を容れたにしても、それはかれら自身の責任においてしたことであり、われわれとして、その結果生ずる問題についてかれらを助けてやる義務はない。―それはかれら自身処理すべき問題なのだ」(70頁)
このようなアメリカの身勝手な外交姿勢をケナンは批判しており、基本的に他国に対しては、不干渉主義を採ることが望ましいとしている。しかし、「不干渉主義」は「モンロー主義」ではない。ケナンはこうも述べている。
「われわれが国民として対外態度により多くの謙虚さをもつことを、一つの政治団体としてのわが国の限界をより現実的に認識し、それによって、これまで数十年間わが国の海岸から遠く離れた地域の複雑な状況に介入した際にわれわれが示してきた以上の、より大きな抑制をもって行動することを、要請する」(272頁)
ケナンのこうした姿勢は、「現実離れしている」と非難されたようだが、アメリカのパワーを過大評価も過小評価もしていないこの姿勢こそ、最も「現実的である」と評者は考える。
本書第二部に収められた「X論文」は言うまでもなく、アメリカを取り巻く情勢に関し、これほど鋭く分析した人物はケナン以外にいたのだろうか。ケナンは昨年惜しくも他界したが、ケナンの外交官の経験とその後の研究生活によって裏打ちされた教訓は今後もアメリカ外交を考える上で欠かせない要素となるだろう。

過去と未来への確かな視線
著者の次の言葉を読むに至るだけでも本書の価値はある。
「どの間違いもある意味ではその以前に行なわれたすべての
間違いの産物である。それゆえどの間違いもその後のでき
ごとのどれについても単独で責任を問われないのである。
そして、これと同時に、どの間違いもある意味では将来の
すべての間違いの一つの要因となるのであり、それゆえに、
どの間違いもその後のできごとにすべてについて何らかの
責任は免れない」
1950年時点のアメリカの国民意識を支配していた「安全
についての不安感」の背景となる19世紀末以来のアメリカ
外交における「間違い」を冷静に見つめる。これから半世紀
過ぎてなおアメリカは不安の中にいる。

賢者の遺言
翻訳調の文章は生硬で読むのがえらいしんどい。
しかも諸々の知識が補助線として必要になるから取っ掛かりも悪い。
だが、ケナンがあぶり出す民主国家のアメリカの外交の宿痾や、意外な指摘だが第二次大戦はアメリカにとって負け試合だったこと(ソヴィエトとドイツを同時に叩くことが不可能で、東ヨーロッパの割譲はどちらに転んでも代償として避けられなかった。太平洋戦争で日本に勝ったものの東アジアの国際関係の難問を日本から受け継いだだけ、しかも中国や朝鮮半島は赤化されるで果実はなかった)は非常に興味深い。
外交の失敗は結果が明白なのに、成功した外交は曖昧としてわかりにくい。そんな特殊な世界を、有権者やマスメディア、知識人、政治家を含めて日本人のどれだけが理解しているだろう。外交論と称するただの思い込みや党派的言説と、正しい外交論はどこが違うのか、ヒントはこの本にある。