
被害者の視点
少年犯罪について、数冊ではあるが本を読んできたが、
「被害者の視点」を大切にしている書はさほど多くない。
本書を読むと、被害者のいたたまれない心情を推察することができる。
「少年法」、少年を守るための法律が被害者を苦しめている。
というのも、被害者も加害者の情報をほとんど入手できないからだ。
怒りの矛先をどこに向けたらよいのか分からないし、
加害者の行方をニュースで知ることもあるだろう。
このようなシステムは、被害者の心をさらに引き裂くような気がする。
少年法で、社会から少年をかくまって保護するという理念も理解できないわけではないが、
少なくとも、被害者にはこのシステムがこのまま適用されることは心配される。
少年院での生活についてもふれられているが、もう少し踏みこみ、具体性を持たせると
さらによいと思う。
少年院での生活が、更生につながるには?と考える契機にもなる。
また、どのような生活を送ることが罪を償うことになるのか、考えさせられる。
昨今、少年犯罪が多いが、本書を読んで「被害者の立場」から物事を考えることは
有意義だと考える。
少年犯罪に少しでも目を向けることで何かが変われば、と願う。

ジェンダー的偏見
本書の後半部はルポではなく著者の主張が述べられている。そこがひどい。決め付けによるお説教になってしまっている。著者は、少年の「肥大した自己意識」の否定が行われないことこそが少年犯罪の原因と述べる。そしてそれは男子に特有であるとも述べる。だから少年犯罪の多くは男子のものなのだという。しかし現代日本社会の中で、自己意識の否定が行われていないのはむしろ女子のほうではないか。女子高生の主観は一種の「神」なのだから。それに比べて男子は否定的な言説に囲まれて生きているといっても過言ではない。それなのに少年犯罪は圧倒的に男子が多い。つまり著者の説明はおかしい。むしろ少年犯罪の原因は男子が否定に囲まれすぎていることにあるのでは。原因論はともかく、少なくとも対策論として「自己否定」を強調するのは有害である。なぜなら、著者が対策として挙げる「過剰な自己意識を去勢」するための「他者との多様なチャンネルでのコミュニケーション」のためには、まず「肯定」が必要だからである。否定に囲まれた状況で、「コミュニケーションを行え」などといっても無意味である。少年犯罪者の多くが、孤立していたという事実を思い浮かべるべきだ。

ややセンセーショナルではあるが実態を伝える好著
丹念に被害者のお話をお聞きになり、おそらく今まで誰も感心も持たなかったであろう犯罪被害者支援問題について、取り上げられたことは、すばらしいことと思う。ただ、この問題に弁護士として関わっているものから見ると、何とかこの問題を世間に知らしめようという意気込みがやや前面に出すぎて、センセーショナルになりすぎている嫌いがあると感じる。もちろん、それは、大げさに描いたとか、そういうことではなく、この本の価値を損なうものではないが。ともあれ、この種の本をなるべく多くの方々に読んでいただきたいと思う。

思いテーマではあるが、人として大切なこと
日本が犯罪被害者に対して十分な対応が出来ていないと、随分昔から思ってはいた。日本は加害者に対して優しすぎる。加害者が必ずしも更生しないという保証はない。だからそのチャンスも…という思いは分かるが、殺された被害者はその未来に待っているものを全て一方的に奪われる。その被害者の人権はどうなるのか?残された家族がずっと背負っていく十字架をこの国の司法はどう考えているのか。非常に考えさせられる本です。