
最高レベルの老子訳解書
道教、老荘思想の大家、故福永光司氏による詳細な老子の訳解書。文字に対する注解はもとより、荘子との関連、個々の思想内容についても非常に詳細な解説が施してある。西洋思想との対比や詩的な要素を含んだ訳文にも特色がある。それぞれの妥当性には検討すべきものもあるが、老子のみでなく中国思想に対する理解が深まり、自分自身の思想を深化させるのに有益なヒントも本当にたくさん盛り込まれている。出版年代が古いこともあり、馬王堆帛書については字句の異同などについての言及がある程度で、郭店楚墓竹簡については全く触れられていないので、最新の研究成果とはいかないが、私の知りうる限り、視野の広さと詳細さで最高レベルの老子訳解書であり、福永氏の『荘子』(朝日文庫全6巻)とともに老荘思想を研究する上で座右の書である。(このレビューは朝日文庫『老子』について書いたものを朝日選書用に若干修正しました)

老荘思想再考
中学生の時にこの老子および荘子にイカレていた評者は不良学生であったのだろう。わたくしはこれを「進歩史観の否定」として読み取っていた。歴史は進歩しない。立身出世はひとを幸せにはしない。当時流行していたリフキンの「エントロピーの法則」や、もちろん伏線としてはあの「成長の限界」の影響もあり、その考え方はかなり強くわたくしを捉えた。バブルが崩壊し、山一や日債銀が倒産した今となっては、「高学歴は輝かしい未来を約束しない」とする人生観はかなり浸透しているものだろう。あれから時間が経過し、わたくしはむしろ今は「経済成長は本当に必要か?」という問いとして本書を眺めている。本書の主張は「成長なんて要らないよ、マイナス成長でもいいじゃん」と言っているように読めるのである。本当の古典とは、このように人間の成長の段階によって、多様な読みを許すものである。特に本書は、近代経済学のように、暗黙にキリスト教道徳(ヴェーバーなら「プロテスタンティズムの倫理」と言うだろう)を前提としている学問の根底を疑うためには有効なツールとして作用することは記憶しておいてもよいのではないか。すべての方々に本書の熟読をお勧めしたい。