
人間性の本質を抉る、鋭い洞察の書
〈そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、
身の危険をふりはらおうとし、欲得には目がないものだ〉(第17章)
キリスト教的道徳観が支配的だった当時、こんな身もフタもない
人間観を披露すれば、そりゃあ、非難轟々だったと思います。
しかし、現在の視点から本書を読んでみると、書かれているのは、
上記のような、どうしようもない人間という存在をまとめていくリーダーが、
肝に銘じておくべき、ごくごく常識的な心構えに過ぎないように思います。
宗教上の原罪など信じなくとも、人間はもともと堕落している。
それは啓蒙主義が浸透することによって改善し、進歩していく類いのもの
ではなく、これまでもこれからも永遠に変わらない普遍的事実に過ぎない。
だから君主は、善悪ではなく人間性をみることで、他人の行動を見極めていくべきだ――。
まったく仰る通り、というしかありません。
また、君主は領民に対し、冷酷に振舞い、恐れられる存在であるべきだ、
と説くマキアヴェリですが、恨みを買うことだけはしてはならないと戒めます。
特に、死刑は〈適当な口実としかるべき動機があるときに〉ならやってもよいが、
決して領民の財産には手を出してならない、と取り立てて注意を促している所に、
マキアヴェリの鋭い人間洞察があらわれているように感じ、興味深かったです。
なぜなら〈人間は、父親の死はじきに忘れてしまっても、
自分の財産の喪失は忘れがたいものだから〉です。

二項対立的に考えるのは誤り
マキャベリズムというと、
冷酷、残虐というイメージがあるが、
それは表層部分のみをすくった解釈であることは
本書を読めば一目瞭然である。
特に、下々の国民に支持されることの重要性を説いたりと、
意外にも平穏無事な、
行き着く先は立憲君主制なのか?といったような
いわゆる普通の会社の姿が目に浮かんできます。
しかしそれでも
本書の根底にあるのは
非常さであると私は考えます。
カードを切れない君主は
果たして君主として有能だと言えるでしょうか?
無能な君主は存在自体が罪。
この言葉が重くのしかかります。

後出しじゃんけんの方法論
ルネッサンス期の分裂イタリアで政治家のスタンスはこうあるべきという、ある意味理想論
でもある。但し、マキアヴェリは「後出しじゃんけん」をおおっぴらに推奨した為に、今で
も誤解を受けている人物でもある。マキアヴェリ自身は「後出しじゃんけん」は、あくまで
も非常の手段であると述べているが、それを理解しないとマキアヴェリ自身も冷たい人物と
解釈される恐れがある。君主論は戦時非常事態化で君主がどう生き残るかという方法論であ
ったものが、いつの間にか非情な政治の方法論となってしまっている。
熱く語った理想論が、後世に於いて冷徹な政治論に変貌させたものはマキアヴェリ自身の問題
というよりも、マキアヴェリの方法論を必要とした混沌とした時代の問題でもあろう。

カトリック教会に禁書として扱われた叡智に触れて見ませんか?
「世の大多数の人間は、財産や名誉さえ奪われなければ、けっこう満足して暮らしてゆくものである」「総じて人間は、手にとって触れるよりも、目で見たことだけで判断してしまう」「人間はもって生まれた性質に傾いて、そこから離れられない」。
約500年前に書かれながら、カトリック教会の怒りを買い、一時禁書として扱われ、19世紀にようやくまともに読まれるようになってきた歴史的な名著である。無理もない。「運命は女神だから、彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突き飛ばす必要がある」「領土欲というのは、きわめて自然な当たり前の欲求である」などと平気で書いてある。
時代の変化によって社会的な記述に関しては簡単には適用できない部分もある。ただ、よく見れば、人間の本質は時代が変わっても何も変わっていないことに改めて気づかされる。
その一方で、マキャベリ式の君主論は、なかなか活動的だ。どっちつかずの態度は強く戒め、変化する時勢に自分を一致させ、「大事業はすべて、けちと見られる人物の手によってしか成し遂げられていない」として備えを奨励して、挙句の果てに戦争をやれ、とけしかける。
不愉快な名言も多いのに、ある種痛快な読後感も残るのは、あまりにもはっきり人間の本質を言い当てている点と、世や人のバカらしさを指摘しながらもそれを軽蔑せず、前向きなエネルギーに向けようとする意図がにじんでいる点だろう。時代を超えて一読の価値がある。
解説や訳注が丁寧で、文庫サイズで場所もとらず、1,000円未満で買えるのもありがたい。

多角的視点の妙
13〜14世紀のイタリアを状況をもとに君主とはかくあるべしを示した書物です。かといって君主は人民に慈悲深くあるべしとか厳しくあるべし、などといった抽象的な君主像を示したものではなく、君主はこう振舞うべきである、それは何故か、状況が違えばいかに振舞うべきか、それは何故か、滅びた君主たちは何故滅びたのか、などなどをその時代までの実例、アレクサンドロス大王やチェーザレ・ボルジア等を取り上げて検証しています。
前述したように現代では状況もかなり違いますので、これを鵜呑みにすることはよくありませんが、君主論にある多角的な視点は現在陥っている様々な問題を考察する上で一つの材料になるものかと思います。また他の国の戦記や英雄譚などの物語と合わせて読むと、一つの書物として十分に楽しめます。